2013年10月31日木曜日

柏市、進む除染と小学女子の甲状腺に「小さな袋状のもの」

けさ(10月31日)朝日新聞の千葉地域版「柏の課題・放射能」の片隅で、とても気になる一文を見つけた。

それは小学生の娘の「甲状腺に小さな袋状のものが見つかった」というもの。

「子ども」「甲状腺異常」とあれば、たちまち核分裂生成物「ヨウ素」が原因と想起する。

そう、これは福島原発事故による学習効果だ。

ヨウ素を取り込み蓄積するという機能がある甲状腺は、ヨウ素が取り込まれると甲状腺ホルモンとなって放射能を放出しつづけ、甲状腺がんを引き起こす、という……。

チェルノブイリ原発事故で住民に甲状腺がんが多発したこと、さらに胎児や乳幼児、若年層は細胞分裂が活発なことなどから、成人よりも放射線の影響を受けやすいことも、ぼくたちは嫌というほど学んだ。

そして、「甲状腺の小さな袋状」は、放射線による晩発性障害の「拡大の始まり」かもしれない、ということも。

原発事故後、わが家(柏市内)の近くの通学路を、それ以前とまったくかわらず、マスク一つせず、多くの小さな子どもたちが「ふつうに」歩いていた。

公園では、幼児が砂場で無邪気に遊び、小学生低学年が遠足で公園の芝生の上で弁当をひろげていた。

――そんな光景を思い出す。

さて、この小学生の娘の母親は、事故直後の初期被曝を心配してエコー検査を受けさせた結果、「甲状腺に小さな袋状」が見つかったのだが、ほとんどの子どもたちはエコー検査を受けていないのが現状だ。

柏市はエコー検査を助成せず、健康調査は国の責任でおこなうように求めている。

だが国は、福島県外の住民の健康管理を「有識者会議で検討」とするだけで、まったく放棄している。

この国は、子どもたちの健康がないがしろにし、身捨てたのだ。

柏市は、事故直後の対応は消極的だったが、市民の根強い働きかけがあって、それなりに積極的な放射能防護に乗り出す。

市内の幼稚園や学校の除染は12年度中に完了し、公園も大半が終わっている。

また食品に含まれる放射能測定も無料で実施し、ホールボディカウンターの内部被曝検査には、市が独自に助成金を出している。

だけど、なぜか、子どもの甲状腺検査は放棄されている。チェルノブイリで頻発している、というのに……。

(参考・引用資料『朝日新聞』第2千葉、2013年10月31日朝刊)

2013年10月25日金曜日

田中委員長「事故で引っ越してストレスで病気になるなら、年間20ミリシーベルト以下まで許容した方が良い」の発言に怒髪天

原子力規制委員会委員長である田中俊一は23日、IAEA(国際原子力機関)調査団の報告書に関して、次のような発言をしている。

「(年間1ミリシーベルの数字が)独り歩きしている」

「事故が起きた時は、知らない場所に引っ越しストレスで病気になる人がいることを考えたとき、年間20ミリシーベルト以下までを許容した方が良いというのが世界の一般的な考えだ」

ぼくは腹の底から、この発言をゆるせない。怒髪天を衝くとは、このことだ。

知らない場所に住むより、年間20ミリシーベルトの場所の方が良いだと。ふざけるなよ。

年間20ミリシーベルトの場所に住む方が、身体への放射線の実効的な影響、さらにそれにたいする精神的ストレスによって、安全な場所で暮らすより、くらべものにならないくらい病気になる確率が大きいだろう。

これが「世界の一般的な考えだ」。

年間20ミリシーベルトの場所に住むことが、どれくらいの重いストレスになるか、ふつうの真っ当な感性の人間なら、すぐに理解できるだろ? 

知らない場所に引っ越して、ストレスから病気になるのをそれほど憂慮するなら、海外や国内への転勤を命じる企業はどうなるんだ。

社員の知らない場所への転勤命令を出したら、傷害罪で訴えられるのではないか。

ウクライナの法律では、年間5ミリシーベルト以上は「移住義務ゾーン」と決められている。健康への影響が想定されるから、移住することが義務付けられているのだ。

ちなみに、同国では、1ミリシーベルト以上で「移住権利ゾーン」だ。住民が希望すれば国が移住を保障するわけである。

さらに0.5ミリ以上は「放射能管理強化ゾーン」で、厳重な放射能対策をとらないといけないことになっている。

ちなみに、ぼくは千葉県柏市在住だが、原発事故後から1年以上は「移住権利ゾーン」に、現在は「放射能管理強化ゾーン」に当たる場所もある地域に住んでいるが、妻をふくめ、かなりのストレスがある。

多くの乳幼児が無邪気に遊んでいた大きな芝生広場のある市内の公園は、事故後その放射能の影響の恐ろしさが広まるにつれ、1年ほどまえに除染作業が完了しているにもかかわらず、いま子どもたちを見る姿は激減している。

子どもをもつ親のストレスは計り知れないだろう。

ウクライナの施策は住民の安全を考えてのことであるが、日本はウクライナとはまったく逆の、危険地域へ住民をおしとどめる施策に躍起となっている。

しかも、この発言は原子力規制委員会のトップだぜ。

「規制」ではなく、「推進」委員会じゃないのか。いや、日本破滅推進委員会としたほうが、名実ともにふさわしいだろう。

IAEAが国際原子力ムラの巣窟であることは「世界の一般的な考えだ」けど、このIAEA調査団の報告と規制委が歩調を合わせての「20ミリ許容」は、「放射能安全神話」の新たな作・演出である。

これは全面的な原発再稼働への序幕だ。

現に、田中委員長は東電の広瀬直己社長と近く会うが、これは柏崎刈羽原発再稼働の具体的なオープニングにちがいあるまい。

日本の破滅する日が刻一刻と近づいている……。

 

2013年10月24日木曜日

「完全ブロック」された港湾の外で、2万8千ベクレルの被曝アイナメが悠々と泳いでましたが、首相ご答弁を?

海に汚染水が流れ込み、そこが港湾であっても、完全に海水をブロックする障壁がなければ、波や風、潮の満ち引きなどによって、港湾の海水は外洋へ流出する。

3.11の震災のガレキが北アメリカ大陸西部沿岸に漂着しているが、放射性物質も(とくにトリチウムは)とうぜん海洋を漂っているにちがいない。

あるいは福島第一原発港湾や、その近海の底に沈殿してもいるだろう。

昨年8月、キロ当たり2万8千ベクレルという、とんでもなく超大量に被曝したアイナメが、福島原発港湾から20キロも離れた南相馬市の太田川河口沖合で採取された。

このアイナメについて「原発事故の直後に放射性セシウムを大量に取り込み、そのまま数十キロ移動した」と調査結果を発表したのは水産庁である。

汚染水は「完全ブロック」あるいは「完全コントロール」していると、世界に向かってスピーチした安倍晋三首相だけど、このアイナメにかぎって、完全にブロックもコントロールもできなかったのかしら? 

でも、いくらなんでも、ほかのアイナメや魚介類は被曝しなかったって、ちょっと考えられないのですが、ここのところ、首相、ぜひご答弁を。

もしかして、完全にコントロールされているのは、汚染水ではなく、首相ご自身では?

誰に?って、原子力ムラですよ。

 

 

 

2013年10月23日水曜日

「(原子力規制委)田中委員長は私と面会もしない。説明責任を果たす気がない人……」泉田知事

朝日新聞が泉田裕彦・新潟県知事に柏崎刈羽原発の再稼働における「新潟県の同意」についてインタビューした。

そのなかで、泉田知事は東電、そして原子力規制委員会の田中俊一委員長にも不信感をあらわにし、辛辣な批判をあびせている。

東電は柏崎原発再稼働に向けて、地元を無視するように動いたこと、さらに福島第一原発のメルトダウンが明らかなのに5月15日まで発表せず、そのために被曝しないですむ多くの人たちまでも被曝させたことなどを挙げた。

また規制委への不信感をこのように語っている。

――規制委の役割は原子力利用に際して安全を確保すること。政府機関への勧告権も持っている。ところがそれだけの権限が与えられているのに、説明責任を果たそうとしない。田中俊一委員長は私と面会もしない。説明責任を果たす気がない人が委員長をやっていては国民の安全は守れない。(引用・参考資料『朝日新聞』2013年10月23日朝刊)

住民の生命と健康をすこしでも考慮すれば、泉田知事のような発言や対応になるだろう。

自治体の長として、ごくあたりまえの「対応」である。

ところが、全国には原発立地の数多くの自治体があるが、なぜ泉田知事のような「対応」がとれないのだろうか。

さて泉田知事、この「対応」をどれだけ貫くのか、地元住民はもちろん、県外の住民も監視する必要があるだろう。

原発事故は県レベルのエリアを越えて、数百キロ・数千キロも離れた地域の被害をもたらすのだから……。


2013年10月22日火曜日

この絶海の孤島にはアベノミクスも原発もないけど、ぼくたちが持たない本当の自由と幸福があった。



英国セント・キルダ島で知った
何も持たない生き方



井形慶子
ちくま文庫、2013

 


題名のとおり、「何も持たない生き方」で暮らす人びとを描いたものである。

「この世の果て」の人びとの暮らしぶり、生き方は、ぼくたちの生活のすべてを根底から問わずにはおられないだろう。

イギリス北部に浮かぶ絶海の孤島の小さなコミュニティ。

セント・キルダ島。

この島は「大西洋に浮かぶ最果てのイギリス」とよばれるが、その形容にふさわしく、荒くうねる波と絶壁の断崖に阻まれ、イギリス本土とこの島を結ぶ定期航路はなく、交通手段もごく限られている。

イギリス本土という文明と隔絶された場所であることによって、文明の恩恵ではなく、文明の害悪から逃れられた、世界でも稀な聖域となった。

この島の住人たちは、朝めざめるとみんなが集まって、きょう何をするのかを決める。

島は食糧資源にとぼしく、カツオドリとフルマカモメが貴重な食糧源であり、それが島民の主食だった。そして、その捕獲された海鳥は、すべての島民に分け隔てられることなく平等に支給された。

もし、カール・マルクスがこのコミュニティを見たら、こここそが「原始共産制」と喝采しただろう。「彼らには賃金を得るために働くという意味がはっきり分かっていなかった」というのだから。

この島民たちの在り方は、アベノミクスに代表される、この国の時流とは対極だ。

ぼくたち人間は、別に「成長戦略」で無理やり経済をかさ上げしなくても、人びとと過剰な競争をしなくても、そして何も持たない生き方であっても、少なくても現在の日本人より「幸福」に生きられるコミュニティの在り方がある、ということを本書は教えてくれる。

この島を訪れた作家は島民の暮らしぶりについて、こう記している。

「軍隊、金、法律、医学、政治、税を持たない社会が今やこの世のどこにあるか。この島で政府とは島民たちのことで、彼らは自分たちの頭で考え、行動して、小さな社会を作っている。これは驚異だ」

また、学者の感想はこうだ。

「セント・キルダの住民たちは、世界の大部分の人たちよりかなり幸せである。いや、本当の自由な暮らしを送れる世界でも唯一の人々ではないか」

そして、この島は「全ての魂がもどっていく」とよばれる。

そういえば、ぼくたちには「ニライカナイ」というものがあったことを思い出した。

沖縄や奄美群島には、魂はニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに還る、というあの伝承だ……。


 

2013年10月21日月曜日

「70倍の基準値超す汚染水漏れ」って、これ犯罪でしょ。「客にダンスをさせたから逮捕」って、これ犯罪ですか?

雨が降れば、台風が来れば、作業員のミスで、穴があいて……などで、もう毎日、連日のごとく、基準値を大幅に超す放射能汚染水が漏れ、あふれ、そして海へと流出している。

いいかい、放射能は生物に障害を与える、地上最凶の「毒」なんだよ。人のありとあらゆる器官に悪影響を及ぼし、ガンを招き、そして死に至らしめる……。

一度、確認しておこう。

放射性物質はどんなに微量でも、人体に悪影響が出る可能性がある。

たとえ健康診断で撮る胸部の、あるいは虫歯検査のX線撮影でさえ、放射線を浴びることは、身体を障害するリスクがあるのだ。

これは全世界の専門家の常識だ。こんなことは敢えて言わなくてもいいほどの、全人類の普遍的な諒解事項である。

だから、こんな危険なものは、環境にむやみに露呈されてはいけない。なので、厳重に管理にされてきた。

そして、もし環境に漏洩したら、たちどころに警察や関係省庁が捜査・調査に入った。

ただし、2011年3月11日までだ。

福島原発事故以来、大気中といわず、河川、山野、港湾、海洋と、いたるところに「死の放射能」が、新たに撒き散らされているが、もうまったく捜査は行われない。

どうして、これらの関係監督官庁が、職務を放棄するのか、わけがわからない。

たとえば警察は、法的基準値を超えた放射能汚染水が漏れていることを東電が発表した21日の前夜、東京西麻布のクラブが未明にダンスや飲食をさせた「容疑」で捜索し、その経営者ら4人を逮捕しておるのだ。

ダンスをさせたら逮捕され、猛毒をばら撒いても逮捕どころか捜査もされない。

いったい、警察の捜査の判断基準ってどこにあり、だれが決めるのだろうか? 

ダンスのどこに、犯罪性があるの?
 

いま西暦2013年。ここは日本だよね。ヨーロッパ中世の暗黒時代に生きていないよね。もしかしたら、この時代のヨーロッパに集団でタイムスリップした?

福島第一原発の周辺及び、ここから放出される放射性物質に関して、いったいいつから捜査権が及ばなくなったのか。

もしかしたら、原発事故と放射能汚染に関しては無政府状態なの。治外法権? 

東電の役員や幹部、原子力ムラのメンバーは、アンタッチャブル(不可触民)? 

さて、こうも毎日、大量の放射性物質が環境に放出された事実を見聞きすると、ともすれば、ごく日常のあたりまえの出来事のように感じてしまう。

その危険性にたいする感受性がマヒしてくる。

だが近い将来、しっかりと晩発性障害として、そのツケをぼくたちが、そして子どもが、乳児が、支払わされることになることを忘れてはならない。

2013年10月18日金曜日

放射能漏れ廃炉の米原発で三菱重に数千億円の賠償請求。人が手を染めてはならない不埒な商いは天から倍返しされる

三菱重工業グループがアメリカの電力会社から、数十億ドル(数千億円)にものぼる損害賠償を求められている。

三菱重を訴えたのは南カリフォルニア・エジソンで、同社は放射性物質が漏れ出す事故等でアメリカのサンオノフレ原発2基の廃炉を決定した。

この原発の蒸気発生器を製造したのが三菱重だけど、原発ビジネスは莫大に儲かるが、一度でも事故を起こせば、今回のように巨額の損失が出る可能性がある。

原発ビジネスという、人として手を染めてはならない不埒な商いをやれば、このような「倍返し」される運命にあるのかもしれない。

東芝、日立などの原発メーカーも海外への販売に躍起だが、三菱重と同じ轍を踏む可能性がある。

原発ビジネスは、一度の事故で巨大企業も一発で吹っ飛ぶリスクがある。

その前に、事故で原子炉が吹っ飛び、フクシマやチェルノブイリのように、地球上に人が住めなくなるリスクもあるのだが……。

こんなリスクを抱えてまで得るリターンって? 

地球に生命が生存できなくなるリスクと引き換えに得るものって、存在し得るのだろうか? 

ところで、泊・敦賀・大飯・高浜・伊方・玄海・川内の各原発は、三菱重工業が主契約者となっているが、サンオノフレ原発のような構造的な欠陥はないのだろうか? 

この点、チェックされているのかな……。

2013年10月14日月曜日

「身長が1センチも伸びていない小学生が多い」いわき市の元教員が発言

15日、福島県いわき市で「小児科医からのメッセージ ~放射能と子ども・いのち・みらい~」という講演会が開かれた。

講師は石川県能美市の「よしだ小児科クリニック」院長の吉田均医師。

吉田氏は当ブログで紹介した被害報告 チェルノブイリ被害の全貌』の翻訳に参加した人だ。

そして、この講演会に参加したひとりの女性の発言が衝撃的だった。

その発言者は昨年度まで福島県いわき市で小学校の教員をしており、震災以降「子どもたちに体調の変化がすごくあった」と言うのだ。

たとえばそれは以下のような趣旨の発言である……

「子どもが鼻血を出すのは、震災前まではタラ~というものが、震災後はドバ~という感じになり、同じ子が何度も流すようになった」

「毎年3回の身体測定があり、昨年度は体重が増えていない、身長が1センチも……1ミリも伸びない子もいたかな……けっこういたんです」

「こういうことは(教員の)わたしから見ると異常」

さらに驚いたのは、他の教員たちと、こういう子どもの異常な実態を共有できずに、「タブーになっている」ということだ。

この職員室の風景は、まるで日本社会の負の縮図ではないか。

とにもかくにも、一刻も早く、福島をはじめ、東北、関東、北陸、中部など、福島原発由来の放射性物質が飛んできた地域の子どもたちの体調や症状をしかりと把握しないといけない。

安倍首相が五輪招致の演説で「健康問題については今までも現在も将来も全く問題ない」などと、トンデモ発言をしているあいだに、子どもたちの身体が日々、放射能によって蝕まれている。

国や地方自治体に、子どもや住民の健康状態の徹底した調査を求めるとともに、民間でも地域住民や教員、医師などが積極的に関与しないと手遅れになる。

もはや時期を逸したかもしれないが、それでもいまからでも、なんとかしないと……。

でないと、ごく近い将来、絶望的な後悔が待っている。

 

▼教員の発言は1分27秒あたりです!
 


 

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=oL75JJqfZTY#t=327

2013年10月13日日曜日

「汚染水はコントロールできないが、世論はコントロールする」これが金曜夜のNHKニュースを視聴した感想

11日、NHKニュースウォッチ9の「IAEA(国際原子力機関)の天野之弥事務局長インタビュー」は、まるで国際原子力ムラのPRショーだった。

番組ナレーションや男性キャスターの取材姿勢の、そのあまりの原子力ムラへのヨイショぶりに唖然としたのは、筆者だけではあるまい。

ここまで露骨にNHKがやるということは、安倍政権や内外の原子力推進派が、汚染水問題でかなり焦っているとみてまちがいないだろう。

汚染水はコントロールできないけど、世論は何が何でもコントロールする――。

そんな政府と原子力ムラの腹黒い意図を感じる。

そしてNHKもその「意図」に一役買っている、と確信した。

このインタビューの冒頭、女性キャスターがIAEAを「核の番人」と紹介。IAEAが原子力利権の推進団体であることは、すくなくとも世界の真っ当なジャーナリズムの常識である。それをしらじらしく第三者的機関を装う「核の番人」だなんて、よく言うよな。


「着実に原子力は増え続けるというのが世界のすう勢、今後20年くらいの間、引き続き原子力は使われていく」

「(原発は今後)低い見通しで(現状の)2割増、高い見通しだと9割増」

「福島の経験を過去の否定的なものと見ないで、そこから学べば将来の事故を防止できる」

以上のこのような天野事務局長の発言をもってインタビューは終わる。

原発が増えるのは「世界のすう勢」ではなく、国際原子力ムラの「単なる願望」にすぎない。

人類史上未曽有の大惨事である福島原発事故を「否定的に見ない」って、巧妙な言語印象トリックである。

こうやって放送内容を文章化して理路をたどると、その巧妙なトリック、印象操作が露顕されるのだが、テレビ放送で映像と音声で流されると、ものごとの理(ことわり)よりも印象のほうが脳裏に焼きついてしまうのだ。

「福島の事故を教訓にしたので、もうあんな巨大事故は起こらないし、原発はこれからも世界中でどんどん増えていく」――みたいに印象づけされるのである。

そうは、かならずしも断言していないのだけど、そういうようなイメージが残ってしまうのだ。

NHKはドキュメンタリーでジャーナリズムの本領を発揮することもあるが、朝の情報バラエティやニュース番組では、明確に「原発推進」「放射能汚染大丈夫」路線をとる。

おそらくこれから当分、NHKはこのスタンスで生き延びようとするんだろうな……。


 

2013年10月12日土曜日

現場作業員が告白「汚染水1年半前から漏れていた」「コントロールできてない」「マスコミへの口封じ」

日刊スポーツが、福島第一原発の施設内でがれき運搬の作業に従事する50代男性を直接取材した。

その話の内容は、9月7日に安倍首相が世界に向かって宣言したものとは、まったく異なったものだった。

ことし8月に「汚染水漏れ」が露顕したとされるが、実は多くの現場作業員が「1年半以上前」から漏れていたことを知っていた、というのだ。

その作業員の話を引用してみよう――。

「マスコミ関係者に内部情報を話さないように(雇用)契約の時にサインをさせられているんです。マスコミと接触してクビになった作業員もいます」
 
そして、取材に応じることを決心したのは「管理のずさんさ、デタラメなことに我慢ができなくなった」からだと言う。
 
汚染水について「1年半以上前から漏れていました。付近で作業した多くの人が知っていることです。上司に指摘したこともあります。これまで隠蔽(いんぺい)していたのか、東電まで伝わっていなかったのは分かりませんが、現場では知られていた事実が、後になって発表されることが多いんです」
 
「(東電社員は)自分たちは現場に出ないし、作業員を見下しているので、そんなミスも人ごとなんですよ」

汚染水はコントロールなんてされていない。まったく制御不能なのだ。
 
この事実をもって、安倍首相はその職を解かれなければならない。
 
かりそめにも、一国の代表が満天下に虚偽の宣言をしたのだから、とうぜんのことだろう。
 
日刊スポーツはこれからも、この調子での健闘を期待したい。
 
(参考引用資料『日刊スポーツ』社会面2013年10月12日)

2013年10月10日木曜日

港湾の汚染水濃度10倍以上に。これは「事故」ではなく「事件」だ。なぜ捜査されないのか?

いったい、どれだけ生命の海は放射能汚染されつづけるのだろう――。

東電は10日、福島第一原発港湾内(2号機取水口付近)で、セシウム濃度が急上昇したと発表した。

9日に湾内で採取した海水から、セシウム134で1リットルあたり370ベクレル、セシウム137が830ベクレル検知された。

これは8日の10倍以上になる。

東電は地盤の改良工事が原因としているが、安倍首相の「汚染水完全ブロック発言」以降も連日、汚染水関連の「事故」が頻発している。

ここ3日間でも、つぎのような「事故」が起きている。
 
●配管はずすミスで7トンの汚染水が漏れ、作業員6人が被曝(10月9日)
 
●汚染水漏れ。原因はタンク底部の二つの穴(10月8日)

配電盤停止。注水ポンプが切り替わる(10月7日)
 

このような重大事故が起これば、環境汚染に関連する関係省庁の捜査機関が動くはずだ。
 
たとえば、化学工場で爆発があれば消防や警察など、産業廃棄物を指定場所以外に放置すれば自治体や警察などが、捜査にあたることをぼくたちは知っている。
 
いや重大事故でなくても、家庭ゴミでも、他人の敷地や公共の場所に棄てれば刑事罰の対象となる。
 
また、路上喫煙やたばこのポイ捨ても、多くの自治体で条例違反となり罰則がある。
 
であるのに、なぜ高濃度の放射性物質を大量に海洋に流出させても、警察や環境省、厚生省などの関係省庁は、東電本店や福島第一原発の現地捜査や調査に着手しないのか。
 
もしかして、こんな危険な現場に入りたくないから無視しているの? 
 
あるいは、天下り先の原子力ムラ関連企業に遠慮してのこと? 
 
これ、邪推ですか……。

 

2013年10月8日火曜日

これ突出した青春だけど、でも少年がみんな普遍的にもっているアホなところ、かもしれない。この絶妙の「アホ」がたまらん


岸和田少年愚連隊


中場利一
集英社(文庫)2010




ぼくは大阪の東部地域、その名も東大阪(旧布施)市出身である。

むかしの河内の国だ。その同じ河内に岸和田がある。岸和田は和泉の国という指摘もあるかもしれないが、和泉になるまえは河内だった。

この本の舞台は、その岸和田(大阪南部)である。

そうあの元プロ野球一のいかつい男、清原和博が生まれ育ち、だんじり祭で全国に名をはせる町である。あの清原でさえ影が薄くなる、彼を3倍はヤンチャにしたガキ、破天荒なオッサン、オバハンが、このノンフィクション(実話?)の登場人物だ。

まあ、この本に出てくる町で育ったら、「そら、みんなキヨになってもしゃあない」と首肯してしまう土地柄である。

ぼくが生まれ育った河内永和(近鉄奈良線の駅名)の近辺も、ガラがええとはいわんけど、岸和田のそれとは次元がちゃう。後者のそれは、もうほぼ治外法権、無法地帯だ。

で、この本は、鉄板を忍ばせた学生カバンを武器に、これ死ぬんちゃう、という半端じゃないケンカを繰り返す、凄惨そのものの中学生の日常を描いたものだ。

だけど、これ、ムゴイのはたしかだけど、なぜかそういう印象が残らない。過激な暴力描写がたっぷりなんだけど、すこーんと抜けた清々しい読後感がある。

この感じ、ヒトという動物が先験的に有している普遍的なサガとでもいうのか、そういうものを余すところなく発露してしまう潔さかもしれない。

自分のそういう衝動に素直というか、まあ単純にアホなんやけど、そのアホさがええ感じで描写されている。こんな無茶な少年が、おとなになって、こんな達者な文を書く、という驚きもある。

ぼくは大阪の私立の坊っちゃん学校で、チュンバー(主人公)の工業高とは同じ男子高とはいえ、その生徒のキャラがまるでちがう。

だけど学校をさぼり、パチンコに明け暮れ、競馬、競艇に通った共通項がある。また70年代初期と中期というずれはあるけど、ほぼ同じ時代の空気を吸っていたわけだ。もちろん、ぼくは主人公のようなケンカはしなかったし、できなかったけど。

高三の初めかな、ぼくはこの本に出てくる岸和田の春木競馬や住之江競艇に、学生服とカバン姿で行ったことがある(なぜかぼくは、ほとんど補導されなかった)けど、よくぞチュンバーのような連中に見つからなかったもんだと、本書を読みながら胸をなでおろした。

遠いむかしのことだけど、こいつらにからまれていたらと想うと、いまでもぞっとする。

でも、こんなオモロイ本、メッタにありまへんよ。

2013年10月5日土曜日

なぜ学校で憲法を学ぶ授業がないのか。この本でその謎が解けた。公教育の必修科目に「憲法」があると、すこしはこの国がよくなるかもしれない。



憲法は、政府に対する命令である。
 

 

ダグラス・ラミス
平凡社、2006



小学校と中学校の授業で「日本国憲法」を学んだおぼえがない。

三権分立とか太平洋戦争が終わって新しい憲法ができた、みたいなことは教科書で読んだような気がする。だけど、憲法ってどういうことが書かれてあるのか、その具体的な中身は、ほとんど何一つ授業で学んでない。たぶん。

おそらく、憲法を学ぶという授業は、この国の義務教育の具体的な課題にはなっていないはずだ。

でも、学校というか公教育で憲法を教えないって、変だよね。何といっても、日本国民として生きていく上での「基本」だから。道徳の授業よりも、学校の規則よりも、法律よりも、そんなものを教えるより、まずは憲法を教えるべきだよね。

だって、この日本という社会に住み、生活を営むためには、まずはその憲法を知ることが何より大切なはずだから。憲法って、そういうキャラだよ。

そんなことを、うっすらだけど、それなりの確信をもって想っておったある日、本屋の店頭でこんな文字が眼に飛び込んできた。

「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。(日本国憲法第99条)」

「憲法は、政府に対する命令である。」

ほっほう!そっかあ!って感じだ。眼からウロコがぽろぽろって落ちたよ。

だから、学校で教えないんだ。国を動かしている者は、憲法にどういうことが書かれているのか、知られたくないんだ。

だって、たとえば現在の社会状況なら、原発が爆発して人類史上未曽有の巨大な被害があり、その加害者がはっきりとわかるのに、検察は起訴して裁判にかけることもしない。

これは明白というか露骨に、憲法を尊重し擁護する義務を負っていない。憲法にある公務員たる職務をまっとうしていない。

こんなこともあるので、公務員やこの国の権力を握るものは、憲法の中身を知られたくないので、公教育でその具体的な内容を教えないんだ。

ということは、国民は憲法のことを知っておかないと、こんなやつらの思いのままにされてしまう、ってことにはならないかい。

たとえば、何かと物議を醸す第9条だ。

①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ぼくは卓球の指導と日本語現代文の読解には、すこし矜持をもっておるのだけど、どこをどう読み、どう読み解いても、この条文には、日本という国は軍隊を持てない、戦争はしない、と記載してある。

だけど日本には軍隊がある。世界有数の軍事力を誇る自衛隊が存在する。そして、この現実が不思議でならない。

これ、べつに難解な文章を読解する力がなくても、ごくふつうのたとえば小学校高学年なら、日本という国は軍隊を持ってはいけない、戦争はできない、と読むはずだ。

誰がなんと言おうと「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」というのは、「軍隊を持たない」ということだろ。また自衛隊は誰が何と言おうと「軍隊」だろ。

そうなのだ。こんな9条のような「軍隊を持たない」「戦争はしない」とはっきりと、誰が読んでもそうとしか読めない文意で記されているから、軍隊を持ちたい、戦争をしたいと願う、一部の政治家や公務員は憲法の内容を国民に知らせたくないのだ。

本書はダグラス・ラミスというアメリカ出身で、日本にながく住む政治学者の著作である。外国人が書いたのだけど、実にわかりやすく日本国憲法を解説している。そもそも、憲法とは何か、というところからひも解いてくれる。

というか、もともとそんなに難解ではないこの憲法なんだけど、それを一部の政治家たちが、自分たちの都合がいいように捻じ曲げるから難しくなる、ということを著者は教えてくれているのかもしれない。

たとえば憲法でもっとも問題となる9条の「国の交戦権は、これを認めない」の「交戦権」についても、それが「どんな権利なのか」、ものすごくわかりやすく、明解にラミスさんは述べている。

もうまちがいなく、安倍政権が続くかぎり、ここをめぐって政治は動くだろう。そして、もしこの政権の想うようにことが運べば、あなたやあなたの子ども、恋人、友人、知人は「戦争」ということに巻き込まれるだろう。たとえば「積極的平和主義」という名のもとに。

そのために自分や周囲の人が殺されること、また人を殺すことになるかもしれない。安倍政権があるかぎり、そんな事態が起こることは、ごく近い将来やってくる。

もし、そういう事態が起こらないとすれば、それは福島第一原発の4号機あたりか、再稼働した原発で事故が起きて、日本は戦争をできないほど滅ぶか、もしくは安倍晋三のお腹が痛くなるかである。

いや、あともう一つ、そういう事態に巻き込まれない方法があった。それは現憲法の中身を知り、第9条の「交戦権」を正しくというか、ごくふつうに理解することである。

「交戦権」の「交戦」とは、日本が他国を侵略するための戦争はもちろん、日本が他国から侵略されたとき自衛する戦争も指す。

本書はこの点について、「侵略戦争の場合はもちろん、自衛戦争の場合であっても、国の交戦権は認めない」という意味であると述べている。

この憲法の一節は、ぼくたちが戦争で外国人に殺されない、また外国人を殺さないための金言である。

まあ、有史以来、侵略戦争するといって戦争を始めた国なんてない。たとえ客観的に侵略戦争であっても、どの国も自国防衛、自衛のための戦争って言い張ってきた。

だけど政府が、すくなくとも民主主義的政府が存在する理由は、戦争をするためではないはずだ。戦争をしないために、ぼくたちはこういう機関に高い税金を払って維持しているつもりだ。

内政、外交の失敗が戦争なんだよ。

ときどき、日本国憲法は外国から押しつけられたからよくないという声が聞こえるが、たとえ外国からでも、いやバルタン星人やはるか彼方の宇宙人から押しつけられたとしても、とにかくいいものはいいんだ。

たとえ日本人が考えた「自民党憲法草案」よりも、現憲法の方が月鼈、雲泥万里の差をもって真っ当なんだよ。

1945年8月15日、日本はポツダム宣言の全面受諾、無条件降伏をもって戦争を終結させたが、あの戦争の一方的犠牲者、また加害者ながら犠牲者ともなった数千万人へのせめてもの報いが、日本人としてこの憲法を護ることではないだろうか。

日本人は現憲法を護る義務があり、その権利を有する。

しかし、それにしても、この本のつくりはすばらしい。中身はもちろん、表題、装丁からすごい(しかし、タイトルよりネーム(惹句)のほうが数倍大きいカバーなんて見たことあるかい?)。

同じ出版人、同業者として、ここに敬意を表したい。ちなみに装丁は業界で大御所とされる菊地信義だけど、この編集者もすごいよな。