2012年5月24日木曜日

津波で救助を求める人の命を原発事故が奪った!

【ただちに危険だ! 原発通信】№60



東京電力福島第一原子力発電所の爆発は、津波で遭難し救助を求める人の命も奪った。

去年3月11日、原発近くの住民も津波に見舞われ、独自で脱出できない人が多くいた。地元の消防団による捜索救助が始まった。団員は瓦礫にうずもれたなかから人の気配を察知した。

助けを求める人がいる! だがそのとき、原発事故による避難命令。捜索が打ち切られた。

その後、付近からは多数の遺体が見つかった。このなかには救えた命もあった。フクイチの事故によって、救われたはずの命がむざむざと見棄てられた。原発さえなければ、助かっていた命である。そう、原発によって見殺しにされたのだ。

このことはテレビが以前伝えており、ぼくは気になっていた。そしてこの事実を朝日新聞「プロメテウスの罠」がここ数日にわたって詳細に報告している。


湖のようになった沿岸地区を、朝日がまばゆく照らしていた。

あそこだ。あそこに声をきいた人がいるはずだ。

人の姿が見えないか、目をこらす。車で行けばわずか5分の地点。直線距離で2キロ。太陽の光が水に反射して識別できなかった。まるで水を張った田んぼのようだ。

 「人が、いるんだろうな」

 思わず口にした。

 今助けにいかないと。見殺しだ、という思いがよぎった。

 でも原発がいつ爆発するかわからない。自分たちだって、住民の避難が終わらないと避難できない。

 これで自分たちも終わりなんだろうな、と思った。(朝日新聞5月22日朝刊「プロメテウスの罠・遅れた警報」)

浪江町の原発10キロ圏内に福島県警の捜索隊が入ったのは、津波から1カ月がたった4月14日だった。

 高野が助けを求める音を聞いた一帯から、遺体が多く見つかった。

 「あのとき、『助けに行こう』ともっと強くいえばよかった。朝まで捜索していれば、1人でも2人でも助けられたんだ」(同23日)


救助を待っていたのは、瓦礫のなかではなく、自宅に居た人もいる。その遺体はこんなようすだった。


ベニヤ板のような薄い木の棺。開けると、グレーの遺体収容袋があった。

 チャックを下ろした。黒く、やつれ、変わり果てた父の姿があった。口元が乾いて、半開きで、水を飲みたそうだった。目を見開いていた。苦しそうな表情。何かをつかもうとしていたかのように、右手は少し浮いていた。

 父は2階の布団の中で死んでいたと聞かされた。津波は2階まで上がっていなかった。

 検案書には「衰弱死」とあった。死亡推定日は3月21日。10日間は生きていたということだ。 (同24日)


自宅二階に逃れ津波に流されなかった人もいた。かろうじて一命を取り留めたのだ。だが、救助はこなかった。原発事故で助けにいこうにもゆけなかった。

10日間、水を求めながら亡くなった人の気持ちを想うと……。

2012年5月18日金曜日

勝俣や松永が逮捕されないこの国では、もうどんな凶悪犯も逮捕できない

【ただちに危険だ! 原発通信】№59


大飯原発の「再稼働」がまぢかに迫っている。ここ数日中に政府は再稼働のゴーサインを出すだろう。

野田首相は17日夜のNHK番組で、大飯原発3、4号機の再稼働について「判断の時期は近い」とし、その判断にあたっては「立地自治体の意向は最優先で考え」、「自治体に任せず、政府が責任を持ち、最後は私のリーダーシップでしっかり意思決定したい」と述べた。

なぜ「周辺自治体」ではなく「立地自治体」なのか。原発が爆発したら立地自治体だけじゃなく、そのはるか「周辺」にまで被害が及ぶことはフクイチ事故で十分知ったはずだ。福島第一原発から300キロ以上離れた静岡のお茶から、今年も高濃度のセシウムが検出されたことをみてもあきらかである。

また「自治体に任せず、政府が責任を持ち、最後は私のリーダーシップでしっかり意思決定したい」とは、「滋賀県や京都府など周辺自治体の言うことなんか無視して、とても政府が責任なんてとれないけれど、俺がもってる首相としての権力で再稼働する」ということだろう。

それにしてもよくもまあ「政府が責任を持つ」なんて言えるものだ。原発事故の責任は、人間はだれひとりとしてとれない。というか、責任のとりようがないのだ。セシウム137の半減期30年、プルトニウム239は2万4千年。そしてこの放射能の強さは、半減期の10倍の時間を経ないと千分の1にならない。

野田や枝野など政府閣僚のほとんどは、30年後にはこの世にいないだろう。死んでる者がどうやって責任をとるというのだ。その事故の大きさによっては国家でも、いや世界のすべての国家によってもとれない。

それにこの国では、その責任者が生きていても、まったく責任をとろうとしない。

それは14日の「国会事故調査委員会」に参考人招致された東電の勝俣恒久会長は東電トップとしての責任は認めなかったし、同じく16日に「調査委」に参考人招致された経済産業省の松永和夫前事務次官は責任逃れ発言を繰り返した。松永は原子力安全・保安院長などを経て、2010年から11年8月まで経産次官を、事故後は経産省の事務方トップとして対応にあたった人物である。

フクイチ事故という人類史上最悪の事故(犯罪といってもいいだろう)の最高責任者(犯人)が、公衆の場で責任を認めないのだ。そして司法機関は責任を追及しようとしないし、その気配もない。

まっとうな「法治国家」なら、すくなくともこの勝俣と松永の両氏は、東京都葛飾区小菅1丁目351に住んでいただかなければならないはずだ。そう東京拘置所である。なぜ、このふたりが手錠もかけられず、国会でしゃべっているのか。このふたりが逮捕されないのなら、もうどんな大事故の責任者や凶悪犯も逮捕できないのではないか。


2012年5月5日土曜日

若者よ。大人たちに怒りの鐘を鳴らせ!

【ただちに危険だ! 原発通信】№58


信じられるかい。この地球が現実に滅ぶかもしれないことを平気でやろっていう愚かな大人たちがこの世に存在していることを。

そう現実にだぜ。これは映画や小説のフィクションの世界の話ではないんだよ。まさにリアルな実存的な話なんだ。しかも、そんな大人たちがこの日本という国にいるってことに。

いくら原発でカネを儲けようが、そんなもの原発が吹っ飛んじゃえば、一瞬にして無になってしまうというのに。自分たちの子や孫の未来を根っこからなくすことになるのに。

若者たちよ。とりわけ学生諸君。おれたち大人にもっと怒りを向けろ。こんな恐ろしく愚かな原発を造り運転させ、膨大な核廃棄物を生み出し、しかもあろうことか原発4基も一度に事故を起こして、福島をはじめ3千万人以上を被曝させた、いまこの日本にのうのうと生きる大人たちに怒りを向けろ。

怒りは、こんなときに発露させるため人間に備わった感情なんだよ。

こんな放射能汚染まみれの日本にしたうえ、おまけにその尻ぬぐいを君たちにたちにさせよとしているんだよ、大人たちは。いま君たちがなんの意思や行動を示さないと、やがては君たちも君たちの子どもから、なんでこんな世の中にしてしまったんだと罵られるだろう。

おれはこんな日本の大人のひとりとして、全身全霊で君たちに詫びる。ほんとうにすまない。こんな原発をこの列島中にいっぱい造ってしまって。なんとか、これ以上の放射能被害を拡大させず、そして新たな原発事故を防ぎたいと願わずにはいられない。

君たち若者が怒りの鐘を鳴らせ。そしてもう二度と、「死の発電プラント」原発を再稼働させるな。君たち自分自身の、そして未来の子どもたちの存在をまもるために。

2012年5月3日木曜日

原発は憲法25条に違反している!

【ただちに危険だ! 原発通信】№57


本日は憲法記念日である。

いうまでもなく、憲法は国民のために制定された法律なかの法律だ。だからこの日は特別なものとして国民の祝日となった。

そんな憲法を時代に合わないのでかえたいという人がいる。だけど、そんなに日本国憲法は時代遅れなの? 

いや、日本国憲法こそ、いまや世界で最先端の憲法である――。これはぼくが言ってることではなく、アメリカの法学者が世界の憲法を見くらべて、客観的に分析した結論なのだ。

その論拠は、日本国憲法が世界で主要な人権の上位19項目すべてを認めていることにある。(朝日新聞5月3日朝刊・国際面)そう、日本の憲法は世界に冠たる誇るべきものなんだ。

その憲法に原子力発電所は違反している。

日本国憲法第25条 生存権・国の社会的使命
① すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、福島をはじめ東北・関東は広く放射性物質で汚染されたが、これは「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことに明確に違反している。

原発事故で避難している16万の人びとはもちろん、現在も放射能汚染地域に住み、またそこから避難したくてもできない人びとの憲法で保障された権利を激しく奪っている。

それだけではなく、日本の全国各地に原発を建設、稼働させることにおいて、また核廃棄物が存在することによって、潜在的な危険性が常態化している。これによって、おおよそ日本国民すべては25条の定める生存権を著しく犯されており、その権利を剥奪されている。

ぼくたちは原発と核廃棄物があるかぎり、憲法が保障する健康で文化的な最低限度の生活を営むことができない。原発は憲法違反である。


2012年5月1日火曜日

「胎内被曝した子どもの健康児は2.5%」キエフ内分泌研究所

【ただちに危険だ! 原発通信】№56


けさ新聞を読んでいて「2.5%」という数値にわが眼を疑った。その記事はこうある。

「ウクライナの首都キエフの内分泌研究所によると、胎内被曝(ひばく)した子どもの7歳検診では、健康児は2.5%しかいなかったという」

この「2.5%」というのは「不健康児」ではなく、「健康児」なのだ。これじゃ、チェルノブイリ事故当時に胎児だった周辺のほとんどの子どもに被曝障害があるということではないか。

当記事は朝日新聞の文化面に「チェルノブイリ、まだ被害渦中 日本ペンクラブが視察」(デジタル版2012510300)という見出しで掲載されたものだ。日本ペンクラブの理事ら8人が4月中旬にチェルノブイリ事故の影響を知るためにウクライナなどの現地視察した報告会見をまとめている。

この記事を読んで「福島原発事故で遺伝的影響を心配するのは無用と思える」と書いた、同じ朝日の高橋真理子編集委員はどんな気持ちなんだろう。一刻も早く同紙は、4月17日の「〈記者有論〉女性と放射線 心配しすぎる必要はない」という記事の「訂正とおわび」を出した方がいい。それは朝日新聞と高橋編集委員のために、そしてなによりフクイチ事故で被曝したすべての人のために、である。

さて、けさの記事には「事故当時8歳で、今年になって甲状腺がんを発症した男性もいた」という戦慄すべき報告もある。忘れもしない1986年4月26日のチェルノブイリ事故から26年たったいまでも、ぼくたちは放射能の影響から免れないのだ。そういったことからも、「チェルノブイリはまだ被害渦中」ということだろう。

そして、このチェルノブイリの現状は、昨年3月11日から26年後のフクイチの現状ではないだろうか。ぼくたちはきっと、26年後も「チェルノブイリ」のように「被害渦中」なのだ。

「処理作業にはキリがない。絶望的だ。大人は未来に責任をもたないといけない」と話し、原発反対を改めて表明した。

これはチェルノブイリを視察した浅田次郎会長のことばだ。そう、浅田さんもぼくも、26年後にこの世にいる確率はきわめて低い。26年後の未来にさえ、ぼくたち大人は責任をとることができない。

おそらくチェルノブイリとフクイチ事故の影響は、これから50年、100年、いやそれ以上の桁違いの歳月にわたるだろう。フクイチ事故を招いたぼくたち大人は、とんでもないあやまちと負の遺産を現在および未来の子どもたちにのこしてしまった。

そんななかで、ぼくたちができることは、フクイチ事故の健康被害の拡大を可能なかぎり減らすこと、それに原発をこの日本から、さらに世界中から廃止撤去することだろう。それがせめてもの、ぼくたち大人の責任の取り方ではないだろうか。