2010年11月25日木曜日

黄海の小さな島に砲撃するまえに

本日の金言……4
『国境の南、太陽の西』
村上春樹著、講談社、1992

「まずまずの素晴らしいものを求めて何かにのめり込む人間はいない 。九の外れがあっても、一の至高体験を求めて人間は何かに向かっていくんだ。そしてそれが世界を動かしていくんだ。それが芸術というものじゃないかと僕は思う」


 この言葉は村上春樹自身が自己の小説家としてのポリシーを語っているのではないだろうか。だが、この至高体験は芸術家だけが体験するものでは、もちろんない。
「至高体験」とは一般的には、宗教的な術語としてカテゴライズされることが多いけれど、実はごく市井のオーディナリー・ピープルにも、いつなんどき体験するかもしれない可能性を秘めたものだ。事実、このぼくだって、そうなのだから。
その体験する頻度というか確率からいうと、それはスポーツのさなかが圧倒的だ。そしてそれをノンフィクションとして構成したのが、ぼくの『スポーツのピークエクスペリエンス』である。
おそらく、この体験をある一定数の人が味わったとき、世界は根底から変わるだろう。もちろん、黄海上で大砲の撃ち合いなんて愚かなことなんてありえない。
至高体験とは、この宇宙の森羅万象の一切合財が、「無境界」であり、「一なるもの」であるということを感得することなのだから。

ところで、この小説に登場する謎を秘めた女性「島本さん」って、ユング心理学でいう「アニマ」というアーキタイプなのかな。
ハジメをめぐる島本さんと有紀子の関係性を止揚(とりあえず、ぼくの語彙からはこの熟語しか思い浮かばない)できたとき、人類史にあらたなページが挿入されるのではないだろうか。